40代前半の僕が年齢相応の言動行動に対する他人の評価について考えてみました

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皆さんこんにちは。

僕は現在40代前半になってくるといろんな人に出会いますよね。

その人達の年齢は結構バラバラであったりするんですが、年齢と行動について考える事がありましたので、今回お伝えしょうかなと思いました。

年齢相応って何?

年齢相応って世間一般的にいうと、20代の人だったら、こんな行動してこんな事言うのが当たり前、40代の人なら、こんな行動をしてこんな事を言うのが当たり前という事の事いうと思います。

年齢相応のイメージ

若いとどこか無責任で、ふわっとした事しか言わないし、行動しない。

年齢を重ねてくると、言葉の中に責任感と重みみたいなものが出てきて、どっしりととしたオーラを感じるようになる、といった事になるのが年齢相応の具体的に知られてるイメージですよね。

年齢相応って本当に正しいの?

なかには、若いのにしっかりした言動をしている人、いい歳行っているのに若い人のような言動をする人もいます。

しっかりした言動をする若い人の評価は良いのですが、頼りない言動をする年齢の上の人の評価はけっこう低く、見下される原因の一つになります。

ここで不思議なのが、年齢相応の定義がけっこう曖昧ですし、人によっても定義の基準がバラバラなような気がします。

曖昧な物差しで見下されたり、評価がよかったりと、評価される側としては納得いかない面があるように思います。

でも実際にはいい歳して何言ってんの?とか若いのにしっかりして、とか言われますね。

僕はその曖昧な事でその人個人の評価をする、決めつけるのはどうかと思います。

子供っぽい大人の人がいてもいいじゃないかなと思うのです。

ただ、一つ条件があります。

子供っぽくてもいいのですが、その事が原因で他人に迷惑をかけてはいけないと思います。

子供っぽい若い人も他人に迷惑をかけてはいけませんが。

あと、別の見方から年齢相応について考えていこうと思います。

年齢相応の必要性とその人らしさとは

今回、年齢相応の曖昧な定義で人の評価をするのはどうかという話をしました。

そのなかで、年齢が上で子供っぽい人の評価は低いといいましたが、評価が低いという事は必然と修正をしようとなりますね。

修正をかければ、子供っぽい言動は少なくなり評価の改善になるかと思います。

でもそれはただ、自分自身を殺して違う自分になりきっているだけで、自分らしさの点から言うと全然自分らしくなく不健全であると思います。

この修正は会社プライベートは関係なくやらないといけません。

会社だけでなく家庭でも修正をしなければ、権威は地に落ちます。

はたして本当にこのように、自分ではない自分を演じていていいのでしょうか?

まとめ

僕は結果から言うと自分らしく生きればいいと思います。

その理由として結局は演じていても長く持たない。

自分らしく生きていなければ、生きていても死んだと同然。

他人からの年齢相応の定義は実に曖昧な価値観により作られている。

の3点によるものだからです。

結局は演じていても長く持たない

人間は自分にないもの自分でないものを短期間で可能かもしれませんが、長くずっとは無理です。

そこには大きなストレスが伴うからです。

自然と経験や、記憶が徐々に変化させたとしたらストレスはないですが、他人の評価を気にして演じても無理ですね。

意識をするくらいなら大丈夫かもしれませんが。

自分らしく生きていなければ、生きていても死んだと同然

人間は自分らしくしか生きられない生き物だし、自分らしく生きていないのであればそれは、死んでいると同様と思います。

他人の評価の為に自分を殺す事はないと思います。

他人の評価では自分の評価は変わらないので。

他人からの年齢相応の定義は実に曖昧な価値観により作られている

上記でも言いましたが、年齢相応の定義は他人のいろんな価値観による決めつけによるイメージなので、その他種の価値観に全部あわせる事は不可能に近いと思います。

年齢相応という言葉自体存在価値あるのかなとさえ思います。

という事で年齢相応は気にしなくていいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

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